IQが高い≠優しい
皆さんおはようございますこんにちわこんばんわ。
ASDでもFPを目指す、葉詠です。
今回はIQについて少しお話してみようと思います。
IQとは
wikipediaによりますと、
「知能検査のひとつ」「数値が高いほど知能が高く、数値が低いほど知能が低い」
という記述がされています。
ASDの検査においても、記号や符号、あるいは言語といった知能・機能の検査をされることがあります。
私が検査を受けた結果などについては別の機会にお話ししたいと思います。
さて、今回の本題はこちら
IQが高いからといって必ずしも優しいというわけではない
まず、IQは知能指数であること、そして優しさや人間性は知能指数によって図れないものと私は考えています。
当初、「IQが高い≠賢い」と考えていましたが、「賢い」の意味を考えているうちに自分が言いたいこととは違うのでこのような表現にしてみました。
ちなみに「賢い」とは
このように定義されているようです。
と、いうことは知能指数(IQ)が高いと知能が優れている・・・・一緒やないかい(*`Д´)っ))
ということに気づいてしまったのと私が言いたいことが違うので改めて。
先日、テレビを見ていて昨今の政治をコメンテーターの方が批判?批評していたのですが、その時の番組キャスターが
「もうちょっとね、ひとに優しくできないんですかねぇこの人(政治家)たち。賢いんでしょ?」
というのを見たのがこの記事を書くきっかけです。
IQが高い、賢いが即「他人に優しくできる」とは一致しません。
「他人に優しくできる」とは、自己の利益を優先しないものと考えているからです。
自分が得することばかり考えているのって果たして「優しい」といえるのでしょうか?
他者の利益を優先する、そのうえで自分に還元されるものはないか?と考えるのが筋ではないでしょうか?
だからこそ自分のことを後回しにする「優しい」方に私のブログを読んでほしいと思っています。
さて話は戻りまして、では一体何をもって「優しい」とするのでしょうか?
言葉の上では、「他人に対して思いやりがあること」や、「悪い影響を与えないこと」などという風になっているようです。
もちろん、IQが高く、他人にも優しく接することができる人も多くいらっしゃることと思います。
しかし、一部の他人に優しくできない、できていない人間が表舞台に姿を見せることでそのようなイメージを見ている側に与えてしまうのではないでしょうか?
ASDの特徴である「空気が読めない」には、過度に他人に興味がない、もしくは過剰に関りを持とうとするというような両極端な側面も持ちあわせているように感じます。
あくまで個人的な肌感ですが、そこには本人なりの「他人を慮る心」があると思います。