ASDでもFPを目指す

ASDと言われそこからFPを目指す過程

この1年の振り返り

皆さんおはようございますこんにちわこんばんわ。

ASDでもFPを目指す、葉詠です。

 

ちょこちょこ書いていた時期もありますが、ここで時系列を振り返りながらおさらいしてみたいと思います。

 

2019年クリスマス前~ 当時の彼(現夫)と同棲開始

2020年1月 年明け早々に喧嘩勃発、この時にASDであることを打ち明ける

2020年2月 彼の誕生日に結婚の話を進める、2月末あたりから本業にダメージが

2020年3月 日本にもコロナの脅威がやってきた

2020年4月 緊急事態宣言~自宅待機

2020年5月 自宅待機解除もテレワーク不可な業種のためダメージは深刻化

2020年6月 入籍

2020年7~11月 挙式までつつがなくこなす

2020年11月末 挙式2日後に夫の辞令を転勤を打診される

2020年末 転勤についてかなり悩む

2021年1月 正式に転勤を承諾

2021年2月末 本業退職

2021年3月 引っ越しの2週間前まで住所が決まらない

2021年4月 新天地で新生活

2021年5月 そして・・・

 

こうしてみると一か月単位でなんかあるww

よくやってきたなぁとほんとに自分で自分を褒めるよ、めったにそんなことしないけど

 

と、本音が駄々洩れですが、おおむねこのような1年を過ごしてきました。

もう少し細かく分けながら振り返ってみたいと思います。

 

 

 

 

1年近く放置した理由

皆さんおはようございますこんにちわこんばんわ。

お久しぶりです。

 

1年近く放置してしまった理由はシンプルに「リアルが大変だったから」です。

このコロナのせい?なのかはわからないまでも、ン年生きてきた中で一番激動な一年だったからです。

 

ようやく心のほうも落ち着いてきたので、この一年にあったことを少しずつ振り返りながら、自分自身と対峙していきたいとおもいますので変わらずに応援のほどよろしくお願いいたします。

 

自己紹介と今後の展望

皆さんおはようございますこんにちわこんばんわ。
ASDでもFPを目指す、葉詠です。

今更ながらにTwitterを始めてみました。
なので今回は改めて自己紹介と今後の展望についてお話ししたいと思います。

葉詠について

ハンドルネーム 葉詠(あまりに何て読むの?と聞かれることが多いので最近はひらがなで「はよみ」と名乗ることもあります)
年齢 平成生まれ
性別 一応女(攻撃的な面が目立って損をすることが多いです)
現在本業あり


私は2019年7月にASD自閉症スペクトラム障害)と告知されています。

ja.wikipedia.org

なぜ診断といわずに告知という言い方にこだわっているかですが、診断書を発行してもらっていないからです。
告知を受けた当時、診断書を書いて手帳の申請をすれば通るレベルとも言われました。
しかし、その事実を受け入れられずにその場で「はい、そうしてください」と言えませんでした。
これより前、違うクリニックでパキシルを出されその時の症状に対しては強すぎる薬だったのか攻撃性や衝動性はマシになったものの、意欲などの面にも影響を及ぼし全く何もしたくない、動けないダルいという感覚に陥り危うく交通事故を起こしかけたことがトラウマで薬はいらないと言いました。
記事執筆時点で投薬はありません。

今まで自分が苦しんできたのはこのせいか、と思えるものができた半面、それに甘えることもできない宙ぶらりんな状態でこの約10か月を過ごしてきた中で、
「治療は常に自分との対話」
「とことん自分がどうしたいか、あらゆる面で想定外を徹底的になくす」
ことが感じていた生き辛さを和らげる方法なのだと感じました。

そこで、「生き辛さ」を感じている人に一緒に安心できる、居場所づくりを本格化させることをここに宣言します。

これからどうしていきたいか

  • 6月からツイキャスでの配信を毎週月曜日16:30~17:00をめどに行います。

6月から通常勤務に戻る都合上、時間は変動してしまうかもしれませんが、毎週月曜日が休みになる予定なのでそれは変えないで行きたいと思います。
内容としましては今のところ
・自己紹介~ASD告知を受けるまで
・お金の話
・恋愛の話
・仕事の話
をメインに据えつつ、都度都度なるべくタイムリーな話題を提供できればいいなと考えています。


  • 発信することを恐れません

ブログ、Twitterツイキャス、または現在登録しているSNSやサービスにおいて、どれかに特化したやり方を見つけるのも手ですが、それぞれにメリットデメリットあるので「それぞれのいいところを使う」ことをしばらくは重きを置いて活動したいと考えています。
そのため、全体的な更新が亀の歩みより遅くなることもあると思いますが、何かしらの形にしていきたいので時間はかかりますが私のやり方で、自分が納得しないと後悔するようなことはしたくないと思っています。


最後になりますが、生きるのが辛いと感じている方にとって一時的でも安心して「自分」の時間を過ごせるような、そんな居場所作りを目指しています。
暖かく見守ってくださると幸いです。
何卒宜しくお願い致します。

コミュニケーションの偏りで人とうまくいかない貴方へ

皆さんおはようございますこんにちわこんばんわ。

ASDでもFPを目指す、葉詠です。

ASDを抱えている皆さんの中に、コミュニケーションの偏りが酷すぎて生きるのが辛いという方、いらっしゃるかもしれません。
今回はそんな方にぜひ参考にしてほしいことがあります。

コミュニケーションの偏りが酷いことに気づいたらしてほしいこと

それは「いつから」「具体的にどういうことをしたのか」「なぜそうしたのか」を書き出してみることです。
私の場合、幼少期の頃からその兆候はありました。
主に幼稚園児時代から目立っていたように思います。
・集団遊びができない(鬼ごっこやかくれんぼなど)
・同じことを繰り返す(ひたすら紙飛行機を折り一人で飛ばす、鶴や手裏剣などの他の折り紙をしない)
・室内の遊ぶ部屋で他の子が作った積み木のお城を体当たりで壊す
・同じく室内の遊ぶ部屋に置いてあった滑り台を逆走
・外遊びもブランコでしか遊ばない、遊んでも飛び降りたり頭を地面にこすらせたりしていた

あくまで自分自身の経験に基づくので、実際の診断基準は違うと思いますが、ここから小学生になると

・宿題をしない、提出物を守らない
・朝誰かが教室にいると入れない
・家庭科や図工の時間などのグループワークが超絶苦痛、作業手順通りに作業しないことで手付かずのまま提出がザラ

ここまで振り返ってみると、ただの自己中なクソガキとお思いでしょう。
現に私もそう思います(笑)
ですが、そこには当時ASDなんて微塵も思っていなかったある共通点が隠されていました。

何に縛られているのかわからない「こだわり」

小学生~中学生のころ、強迫観念で休み時間ごとに手を洗うという行動を繰り返していました。
もちろん誰に監視されているわけでもないし、自分の意識の問題なのだけれどどこか「汚いものを触った」という意識が四六時中付きまとい繰り返し行動に追いやられてしまったのかもしれません。
それが大人になれば、鍵チェックに移り変わったわけですが、かけたか不安なのとかけても壊される、それは困るとガチャガチャやりすぎて本当に壊してしまったことがあります。
つまり、力加減ができないこともわかってきました。
常に全力なので確認行動も全力、コミュニケーションの偏りも全力なんです。
徐々に手加減する、こうしたら壊れるからほどほどに、が通用しなかったんです。
なんで壊れるの!こんなんで壊れたら盗まれるでしょ!と本気で信じていました(壊れたのはロッカーの鍵です)
今現在は確認行動も少しずつ収まってきて、トレーニングの成果が出てきていると実感しています。
「誰に」「何に」こうしろああしろと命令されているのかわからないときは「自分が」命令していないかを振り返ってみると良いでしょう。

自分でコントロールできない方へ

そうはいってもその当時は自分で自分も周りも苦しめている自覚が全くなかったので、コントロールのしようがなかった、するつもりもなかったのです。
身近にそういう人がいると「なんやねん迷惑ばっかかけて!」と思われるでしょう。
自覚を持てないことが悪いと思われがちですが、ちょっとの工夫でぐんと生活はしやすくなります。
そのお手伝いができたらと思いますので、もしご興味がありましたらコメント等お寄せいただいたらお力になりたいと思います。
お気軽にご相談くださいね。

ASDは生きにくい?どんなトレーニングすればいい?

皆さんおはようございますこんにちわこんばんわ。

ASDでもFPを目指す、葉詠です。

今回は私が実際に生活の中で意識しているトレーニング方法についてお話したいと思います。

そもそもトレーニング必要なレベルなの?

 →はい、そうです。
告知時点で「個人に特別配慮をした環境が必要」と言われてしまいました。
どういうことかというと、診察した医師曰く、
「家族にも就労先にもかかわりを持つすべての人に自分がASDであること、(特にコミュニケーション面において)特別な配慮が必要であることを隠したままいれば、ずっと拗れたままの人間関係で過ごすことになる」
とのこと。

実をいうと、この時転職活動をしていました。
これからの自分の生き方というか、諦めたはずの「結婚して子供が欲しい」という夢を捨てきれずに、当時の職場ではそれが叶わないことが明白だったので(出会いがないというのではなく産休育休が無いとかストレスとかそういう面)
新しい就業先でカミングアウトするべきか、めちゃくちゃ悩みました。
もしカミングアウトするとしたらどのタイミングでいうべきか、しなくても言動でバレてしまうだろうし・・・
などと考えているうちに今の就業先に採用が決まり、この業界はちょっと変わった人が多いというか、そういうのを否定しない業界に入れたので非常に助かりました。
ちなみにかるーく「私ASDらしいんですよね」と何かの拍子にポロっと言ってしまったことがあったのですが、見事にスルーされてしまいました。
ある意味助かっています。
みんながみんな、こんな恵まれた環境にいられないのは重々承知しております。
では次が本題です。

実際何やってるの?

 →「言わない」を徹底して意識すること
何を言わないのかというと、自分がASDであることもそうですが、
瞬間的なレスポンスをしないことをかなり気を付けました。
今は恵まれた環境にいるおかげか、そこまで張りつめていませんが、告知された当初はかなりきつく意識しました。
そもそも私は何かにつけ即レスするタイプで、返事や決断に迷うとものすごくイライラしてしまうのです。
記事執筆時点ではこれがかなり緩和されてきましたが、告知されるまではお昼なに食べるといった比較的どうでもいいことから、自分と結婚するのかどうかという人生の重要局面における判断もスピーディーにされないと非常に気が済まない質でした。(同時進行で婚活もしていました)
即断=決断力と思い込んでいたので、そんな自分の人生をよく考えない決断でいいのか、とある意味常識的な立ち止まりができるようになってきました。

それだけ?効果あるの?

 →今のところそれなりに手応えはあります
というのは、前述の通り即レスを控えることで不用意なKY発言は減った・・・はず
あと、ASDの特徴「他人の気持ちがわからない、他人への配慮ができない」という点では自分が車を運転することもあってかなり気を付けています(ちなみにゴールド免許です)
即レスするのはなんでだろう、と掘り下げていく中で、いわゆる地雷ワードに触れたときに脊髄反射的に暴言暴力に出てしまう面があると気づき、自分の中で何が地雷なのかをゆっくり書き出してみました。
この「書く」という作業はものすごく重要で、文字という可視化できる状態にすることで、その時の自分の状態がすごくよくわかるからです。

何から手を付けていいかわからない、問題そのものがわからないという方はぜひ「書く」ことから始めてみてはいかがでしょうか?

IQが高い≠優しい

皆さんおはようございますこんにちわこんばんわ。

ASDでもFPを目指す、葉詠です。
今回はIQについて少しお話してみようと思います。


IQとは


ja.wikipedia.org


wikipediaによりますと、
「知能検査のひとつ」「数値が高いほど知能が高く、数値が低いほど知能が低い」
という記述がされています。

ASDの検査においても、記号や符号、あるいは言語といった知能・機能の検査をされることがあります。
私が検査を受けた結果などについては別の機会にお話ししたいと思います。

さて、今回の本題はこちら
IQが高いからといって必ずしも優しいというわけではない

まず、IQは知能指数であること、そして優しさや人間性知能指数によって図れないものと私は考えています。
当初、「IQが高い≠賢い」と考えていましたが、「賢い」の意味を考えているうちに自分が言いたいこととは違うのでこのような表現にしてみました。


ちなみに「賢い」とは

dictionary.goo.ne.jp


このように定義されているようです。

と、いうことは知能指数(IQ)が高いと知能が優れている・・・・一緒やないかい(*`Д´)っ))
ということに気づいてしまったのと私が言いたいことが違うので改めて。

先日、テレビを見ていて昨今の政治をコメンテーターの方が批判?批評していたのですが、その時の番組キャスターが
「もうちょっとね、ひとに優しくできないんですかねぇこの人(政治家)たち。賢いんでしょ?」

というのを見たのがこの記事を書くきっかけです。

IQが高い、賢いが即「他人に優しくできる」とは一致しません。
「他人に優しくできる」とは、自己の利益を優先しないものと考えているからです。
自分が得することばかり考えているのって果たして「優しい」といえるのでしょうか?
他者の利益を優先する、そのうえで自分に還元されるものはないか?と考えるのが筋ではないでしょうか?
だからこそ自分のことを後回しにする「優しい」方に私のブログを読んでほしいと思っています。

さて話は戻りまして、では一体何をもって「優しい」とするのでしょうか?
言葉の上では、「他人に対して思いやりがあること」や、「悪い影響を与えないこと」などという風になっているようです。
もちろん、IQが高く、他人にも優しく接することができる人も多くいらっしゃることと思います。
しかし、一部の他人に優しくできない、できていない人間が表舞台に姿を見せることでそのようなイメージを見ている側に与えてしまうのではないでしょうか?

ASDの特徴である「空気が読めない」には、過度に他人に興味がない、もしくは過剰に関りを持とうとするというような両極端な側面も持ちあわせているように感じます。
あくまで個人的な肌感ですが、そこには本人なりの「他人を慮る心」があると思います。

反抗挑戦性障害

どうにも他者のいうことが聞けない、聞きたくない。噛み付いてしまう。

この病気は子供の病気らしいがいつまでたっても治らない。

天の邪鬼やひねくれ者で済まされないレベル。

もしそうなら、反抗挑戦性障害かもしれません。

※私は医師ではないので診断はできません。思い当たることがある方は専門医へ受診するようお願い致します※

反抗挑戦性障害とは、Wikipediaによると

DSM-5から反抗挑戦症の語も併記され、怒りにもとづいた不服従、反抗、挑戦的行動の持続的様式と表現される児童期の精神障害である。

と記されています。

児童期?
てことは小学生くらいの子供?
大人になっても改善されないけど?

という方、いらっしゃるかもしれません。

続けてWikipediaには診断基準としてDSM-Ⅳのものを記載しています。

A.少なくとも6ヶ月持続する拒絶的、反抗的、挑戦的な行動様式で、以下のうち4つ(またはそれ以上)が存在する。
1.しばしばかんしゃくを起こす
2.しばしば大人と口論をする
3.しばしば大人の要求、または規則に従うことを積極的に反抗または拒否する
4.しばしば故意に他人をいらだたせる
5.しばしば自分の失敗、不作法を他人のせいにする
6.しばしば神経過敏または他人によって容易にいらだつ
7.しばしば怒り、腹を立てる
8.しばしば意地悪で執念深い
注:その問題行動が、その対象年齢及び発達水準の人に普通認められるよりも頻繁に起こる場合にのみ、基準が満たされたとみなすこと。
Bその行動上の障害は、社会的、学業的、または職業的機能に臨床的に著しい障害を引き起こしている。
C.その行動上の障害は、精神病性障害または気分障害の経過中にのみ起こるものではない。
D行為障害の基準を満たさず、またその者が18歳以上の場合、反社会性パーソナリティ障害の基準は満たさない。

ともあります。


DSM-Ⅳは2000年の発表なので、5になった2013年よりも古いものと考えられます。

改訂や変更があればコメント等お寄せいただきましたら幸いです。

さて、この反抗挑戦性障害は、通常の発達上のアイデンティティ確立のための反抗期とは異なるものとされています。
反抗挑戦性障害は環境が変わっても持続することから、
・持続的な経過がある
・症状が著しい苦痛や機能障害をもたらす
ことが診断に至らしめるポイントであると考えられます。

もし、そういったことに心当たりがある、もしかすると…と言う方は一度かかられてもよいかもしれません。
何度もいいますが私は医者ではないので診断はできません。あくまで自己責任でお願いします。